【大学受験】偏差値はどれくらい「気にしたら」いいのか

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多くの受験生が、高い偏差値の大学に入りたい、と思っているのではないでしょうか。高い偏差値の大学に入ってほしい、と願っている保護者も多いでしょう。大学受験における偏差値とは、なんなのでしょうか。高い偏差値は、難易度の高さを意味します。ではなぜ、難しい受験を克服してまで、高偏差値大学を目指すのでしょうか。大学の偏差値の意味を考えてみました。

全入学時代と高偏差値について

大学受験はかつて「受験戦争」と呼ばれていました。そのころは、大学に入れば高いステータスが得られ、高額給与とやりがいのある仕事がもらえ、一流会社に入ることができたので、過酷な競争に耐える必要がありました。

ところが現代は、子供が減って大学の数があまり減っていないので、行く気があれば誰でも大学に入ることができる「大学全入時代」です。入学者数が入学定員を下回る定員割れを起こしている私大は、私大全体の33%にもなります。

また、価値が多様化して「別に大学を出なくてもよい」と考える人が増えています。IT分野では、高卒者でも高い地位と高給を取っています。多くの仕事現場では、学歴よりその道の知識や経験のほうが重視されるようになりました。つまり、大卒者になることには、かつてほどの価値はありません。

しかし今でも、高偏差値大学を目指す受験生だけは、受験戦争時代の受験生と同じくらい、ハードな勉強をしなければなりません。高偏差値大学に入ることと、そこを卒業することの価値は、まったく落ちていません。

大卒者になることの価値は相対的に落ちているのに、なぜ高偏差値大学の卒業者になることの価値は不変なのでしょうか。

偏差値とは

偏差値とはなんでしょうか。偏差値といえば大学偏差値と思われているほど、偏差値は受験用語して定着していますが、元々の「偏差値」は数学の概念です。偏差値とは、母集団のなかでの位置づけをわかりやすく表示する数字です。
母集団のなかでの位置づけの数字には、順位や平均点もあります。しかし、順位と平均点には「揺らいでしまう」欠点があります。

順位の揺らぎをみてみましょう。
例えば、100人の母集団で5位になれば、価値が高いといえます。しかし、1,000人中5位の場合は、さらに価値が高いといえます。同じ5位でも価値が「揺らいで」います。では、10人中5位は、価値が低いのでしょうか。
もちろんそうとはいえません。天才10人を集めた競争で5位であれば、10,000人中の5位より価値が高くなることも考えられます。このように、順位では、母集団のなかの位置を、正確には特定できません。

 

Aテスト

Bテスト

aさんの得点

70点

90点

bさんの得点

60点

80点

cさんの得点

50点

60点

dさんの得点

50点

40点

eさんの得点

40点

20点

fさんの得点

30点

10点

平均点

50点

50点


次に、平均点の揺らぎを考えてみます。100点満点のテストで80点取れば、大抵の人は満足できます。しかし、そのテストの平均点が90点であれば、80点は価値が低い点数になります。
では、平均点50点のAテストで60点を取ることと、平均点50点のBテストで60点取ることは、同じ価値になるかというと、そうならないことがあります。AテストとBテストが、以下のような結果になったとします。

bさんはAテストで60点取り、2位になりました。cさんはBテストで60点を取り3位になりました。AテストもBテストも平均点は50点ですが、Aテストの60点は2位であり、Bテストの60点は3位になってしまうのです。これでは、どちらの60点のほうが価値が高いのかわかりません。平均点を基準にしても、母集団のなかで正しい位置づけはわかりません。

偏差値には、こうした揺らぎがありません。偏差値の場合、例えば全国模試で偏差値70を獲得できた人が、東大模試で偏差値50に下がることがあります。つまり母集団に学力が低い人が含まれていると偏差値は上がりやすくなりますし、母集団に学力が高い人しか集まっていないと偏差値は上がりにくくなります。
そのため偏差値は、母集団の価値と自身の価値を反映した形で、母集団のなかの自分の位置がわかるわけです。

大学のランクとは、格とは

文部科学省は大学にランクをつけていません。格付けもしていません。したがって、偏差値40の大学も、偏差値80の大学も、日本の大学制度のなかでは、価値には差がありません。
しかしこれは建前にすぎません。法律上、または制度上の差はなくても、運用上は歴然とした差があるからです。

例えば、国立大学の場合は、学生からの授業料だけでは運営できません。では、足りないお金はどこから調達するかというと、税金です。国立大学には国立大学法人運営費交付金(以下、運営費交付金)という税金が投入されています。

運営費交付金の2016年度の総額は1兆945億円でした。そのうち、一般的に「日本一の大学」と認知されている東大は805億円を獲得しています。実に総額の7.3%のお金を東大一校で取っていってしまうのです。そして、「日本2位の大学」と認知されている京大は548億円で、全体に占める割合は5%です。

運営費交付金1兆945億円は86の国立大と4の研究機構の計90法人で分けます。もし90法人で均等にわければ、1法人あたり122億円となりますが、東大はその約7倍、京大は約4倍の額を獲得しています。

その「あおり」は低偏差値大学に回ってきます。小樽商科大学、鹿屋体育大学、総合研究大学院大学、政策研究大学院大学、北見工業大学、筑波技術大学などは10~20億円にとどまっています。

文部科学省が東大と京大を重視していることがわかります。そして、1位の東大と2位の京大ですら、年間257億円もの差があります。文部科学省が東大をどれだけ重視しているかがわかります。

大学の予算の差は、研究施設や研究設備、本や資料の購入などの差になります。お金のある大学ほど学問や研究をする環境が整うことになります。このように、大学には格差があります。人々がいう「大学のステータスやランク、格」とは、この格差のことなのです。例えば、受験生が東大や京大や早慶に合格したら、家族や親戚や友人から「すごいね、おめでとう」と称えられるでしょう。
その称賛は、ハードな受験勉強に耐えたことに対するものであり、「ステータスやランク、格」が高い大学に入ることへのものです。

上記のことをまとめると、高偏差値大学に入る価値には、次のようなものがあります。

・高い「ステータスやランク、格」が得られる
・充実した環境で学問と研究ができる
・周囲や社会から称賛される

これらを手に入れたい人は、高偏差値大学が求める学力を獲得しなければなりません。それはハードな受験勉強に耐えることを意味します。

なぜ東大と京大は偏差値が高いのか

次に、なぜ東大や京大は偏差値が高いのか考えてみましょう。その理由は単純で、「ステータスやランク、格」が高く、学問と研究の環境が整っているため、人気が高まって入学を希望する受験生が増えて偏差値が高くなります。ではなぜ、高偏差値大学は、「ステータスやランク、格」が高くなり、学問と研究の環境が整うのでしょうか。

1)高い偏差値と、2)高い「ステータスやランク、格」と、3)快適な学問・研究環境の3つは、国立大でも私大でも、1つ持っているところは大体他の2つを持っています。高偏差値だが「ステータスやランク、格」が低い、という大学はありません。快適な学問・研究環境が整っているのに偏差値が低いという大学もありません。なぜこの3つは、同時にすべて獲得できるのでしょうか。その答えは、「歴史」「予算の事情」「日本人の共通認識」になります。

歴史

高偏差値大学には、歴史があるという共通点があります。古い大学ほど偏差値が高くなる傾向があります。そして国立大の場合は、国の政策という歴史が偏差値と関係してきます。東大、京大、北海道大、東北大、名古屋大、大阪大、九州大は旧七帝大と呼ばれていますが、今風にいうと大学界の「神セブン」といった存在です。

帝国大学(帝大)とは、旧制の国立総合大学のことで、国の政策で整備されました。東京大学は明治時代には東京帝国大学という名称でした。国は地方にも一流の教育と研究拠点を設けようと、北海道、東北、名古屋、大阪、九州にも帝国大学を設置しましたが、それぞれ前身の学校があります。例えば北海道大学は、札幌農学校が起源となっています。つまり国が、札幌農学校に「テコ入れ」して帝大に仕立てたわけです。ブリタニカ国際大百科事典によると、帝国大学は「最高学府として学術研究とともに指導的人材を育成した」とあります。大学の格は自然とつくられたものではなく、明確な意図があってつくられたことがわかるでしょう。

予算の事情

大学に格差があるのは、国の予算の事情でもあります。国立大はもちろんのこと、私立大も国から予算を得て学校を運営しています。国の予算は税金なので、無駄なく、効率よく使わなければなりません。しかも今の日本国は、世界有数の赤字国家です。大学に多額のお金を掛けられなくなっています。そこで、大学の選別を行う必要が出てきました。実績を挙げている大学に多くのお金を渡し、そうでない大学の予算を減らすわけです。

国立大の予算(運営費交付金)は、人材育成、地域貢献、世界的な研究、卓越した成果などを考慮して、金額を決めています。私大の予算(私立大学等経常費補助金)は、成長力強化の教育、社会人の受入れ、国際交流、大学院の機能の高度化、経営強化などが考慮されます。

日本人の共通認識

大学の「ステータスやランク、格」の違いには、国民の意識も強く関与しています。例えばある人が、「私は早稲田大学を出ています」と言ったら、周囲の人は心のなかで「すごい人だ」「わざわざ学歴をひけらかすなんて」などと思うでしょう。卒業した大学の名前を言っただけで、多くの日本人は動じてしまうのです。それは、日本が学歴社会だからです。学歴社会とは、学歴を過度に重視する社会的風潮が強い社会のことです。

日本が学歴社会であることがわかる「証拠」を、もうひとつ紹介します。「自分は慶応大学を出ています」と言っていた人が、実は、慶応大を出ていないことがわかったとします。そのことを知った多くの人は「だまされた」「悪質な嘘をつく人だ」と衝撃を受けるでしょう。これは、多くの人が、出身大学に大きな価値を見出しているからです。

例えば、「自分は神奈川県出身です」と言っていた人が、実は北海道出身だとしても、周囲の人は、その人を責めないでしょう。それは、日本は出身都道府県重視社会ではないからです。

社会人であれば本来は、出身大学よりも仕事のスキルや業務の知識量のほうが重視されてしかるべきです。しかし、出身大学はときに、仕事のスキルより重視されることがあります。
こうした人々の意識が大学の「ステータスやランク、格」を重視する風潮を生み、その風潮がさらに「ステータスやランク、格」を強調することになっています。

偏差値の高い大学を卒業するメリットとは

高偏差値大学に入るには、猛勉強しなければなりません。1日10時間以上勉強しても足りず、浪人することも珍しくありません。それだけ勉強しても、100%合格する保証はありません。一部の天才や秀才を除けば、普通の受験生が高偏差値大学に合格するには「血の滲むような努力」が必要になります。人生においてとても重要な青春の1~2年を勉強だけですごすことになります。

では高偏差値大学を卒業するメリットは、それだけの労力や犠牲に見合うのでしょうか。
その答えは、受験生本人の考え方と価値観によって異なります。

例えば、「一流の人になりたい」のであれば、高偏差値大学を出る必要はないでしょう。大学にすら行く必要がないかもしれません。一流の料理人、一流のレースドライバー、一流の野球選手、一流のモデル、一流のプログラマーになるのに、高い学歴は必要ありません。その道を究めるのに必要なスキルや知識を身につけたほうがよいはずです。

また、医者や弁護士や一級建築士や公認会計士も、資格試験に合格すればよいだけですので、専門の大学学部を卒業する必要はありますが、その大学は高偏差値大学でなくでも構いません。

高偏差値大学を卒業する「称号」が必要な職業には、次のようなものがあります。
・国会公務員
・総合商社社員
・メガバンク(超大手銀行)社員
・研究者
・開発担当者

こうした職業では、明確に高偏差値大学卒業者が有利になっています。低偏差値大学卒業者もこれらの職業に就くことはできますが、高偏差値大学卒者より不利に扱われる可能性が高くなります。ただ、これらの職業でも高偏差値大学を卒業すれば必ず成功するわけではありません。これらの仕事では、高偏差値大学卒業者のなかでさらに激しい競争をすることになります。

まとめ

高偏差値大学を目指す価値は十分にあります。高偏差値大学を出れば、多くのものを得られるでしょう。人生における成功と失敗は、出身学校だけでは決まりませんが、出身大学の偏差値が高いほうが、日本では成功する確率が高くなるのは事実です。どうせ同じ時間、勉強するのであれば、しっかり勉強して高い偏差値の大学を目指してみてはいかがでしょうか。

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